小さな学校@灯りの宿 活動報告

誰も怪我することもなく無事に終わることができました。
参加者のみなさん お疲れ様でした♪

間伐をした木々を道に下ろして炭焼き小屋まで運んで
薪を詰めて火を熾すところまでの作業を体験させていただきました。

地元に住む人にとって裏山の木々は今でも大切な資源で
それを使って風呂を沸かしたり、炭を焼いたりという営みが
今でもきちんと残っている。
「年寄りばかりになってきて、薪や炭を作る人も少なくなってきてるけどなあ。もったいないもんなあ。笑」と炭焼き窯を使わせていただいた地元のお父さんは話をされる。
お父さんのお父さん(笑)は林業を生業にされていたそう。
「(安い)外材に押されて、林業では食べていけなくなってやめたんよ。山の手入れも全部は出来なくなってきているんよ。」と言われる。
どの作業も大変な時間と労力と手間がかかる仕事だ。
山の中では仕事はたくさんある。子供からお年寄りまで、みんなが助け合わないと仕事は終わらない。
それぞれの役割があり、それぞれのいきがいがあり。

私にとって今回の小さな学校は、
まずは「知る」ことから始めたかったことがあるような気がします。
四国の山々の現状はどんなんだろう?
限界集落という言葉で括られている里山は本当に辛い場所なんだろうか?建築という仕事をしていて、どうして地元の木材を身近に利用しないのだろう?(自分自身が)

前夜から宿に到着していただいた方々と話をしていました。
地域を元気にすることとはどういうことだろう?
私の中では、個人が元気であれば勝手に連鎖していくような気がしていて。その元気は年齢・住む場所・肩書き・性別・国籍etcすべてにバリアフリーで(笑)
まずは、個人と個人の「接点」を、持つことから始まるのかなと。
あとは、その「接点」を如何にゆるやかに少しずつ広げていくか。
イベントや祭りという大きな接点とは別に、多分それはとても小さな「接点」
個人と個人のお互いの小さな「接点」が繋がっていって、いろいろな形を創っていく。集まったり離れたり、また別の「接点」で繋がったり。そんなイメージ(笑)

昨日の小さな学校は「はじめまして の接点」
四国風景つくりの会を運営されている学生さんとも初めての接点。
一般の方で参加していただいた方とも始めての接点。
宿仲間(ボランティアを含めて協働している仲間)との接点。
地域に住む方との接点。
炭焼き・臼で粉を挽く こととの初めての接点(笑)

いろいろなこと 教えていただいたような気がします。
少しだけ 知ることが出来たのかなと思います。
次に繋がる 接点を持てたかなと思います。

貴重な体験に感謝です。
ありがとうこざいました♪

(てこ)

追記

あれからも時々考えていて(宿題みたいなものかな。笑)
私の中で「接点」=「情報」なのかなと。
それも「生きた情報」を楽しく伝えてくれる 教えてくれる。

「接点」は、目的ではなくて向かいたい目的地点への
通過点であり入り口であり
磁石のように「的確な接点」を引き寄せるのに必要なのは
「どのような目的地点を目指すのかというビジョンを
明確にすること」のような気がしてきました。

例として
「灯りの宿」ひとつを「地域における ひとつの居場所」と
想像の世界で想い描くこと。
民間委託の申請の際に、私はその3年後の姿を思い描いた。
灯りの宿に人や音楽が芸術が溢れているビジョン

多分そのビジョンに沿って「接点」として私に必要な
「情報」を伝えてもらっているような気がする。

そしてその各人の想い描くビジョンの共有が出来れば
「接点」同士が引き寄せあうのかもしれないな。

ああ 本当に私にとっての「学校」だ。